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2013年2月の記事

2013/02/20

設計士さん登場。

はじめてHR社のモデルハウスを訪れた翌週、設計士さんを交えて打ち合わせを行うことになった。
この業者には、複数の設計士さんや大工さんが社員として在籍していて、設計から施工まで一貫して自社内でやってくれる。
その複数いる設計士さんのなかで、Tさんという人が担当してくれることになった。
Tさんを指名したのは前回案内してくれた社長の娘のOさん。
前回、「どこにでも、それこそどこにでもイヤというほどある、ハコみたいな家にハコみたいなクルマがあって…、というスタイルだけはイヤなんです」「便利でカッコ悪いよりは、不便でカッコいい方がいいです…」というようなことを話していたら、じゃあTさんが合うはず、と指名してくれたのだ。

初めて会う人にはやはり緊張する。
Tさんは決して愛想がいい方ではない感じだが、無愛想では決してなく、訥々とした感じの人だった。歳は10歳弱程上か。

伝えたことは、

・あっちの不便、こっちの不便を潰していった結果、快適だけどつまらない家になってしまうよりは、不便なところがあってもそれ以上に満足できる家にしてほしい。
・どうせだったらプラスとマイナスの振れ幅の大きな家がおもしろい。
・年数が経つにつれ、ただ古びていっていいのは新しいうちだけ、ではなく、古びるにつれて味の出る家にしていきたい。
・今住んでいる借家が室内でも夏は酷暑、冬は厳寒というような家なので、僕らの快適基準は一般より相当低いので安心してほしい。
・コストの配分には相当メリハリをつけたい。

こんなところ。

ぼやっとしたことを話し、ぼやっとしたやり取りをしている中で、次回まで第1案を考えてもらうことになった。

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2013/02/17

そうだイエ、造ろう。

ブリグをほったらかしにしつつ、早1ヶ月以上経った。
新年なんてとうに過ぎ、2月も半ばになった。
それはもうすごい勢いで過ぎていく。

年が明けてから、家を造ろうかな、ということになった。
これと言ったきっかけはない。
ただ、どこに住もうかな、ということだけ決めかねていた。
今は新潟県新潟市内に住んでいるけど、僕は県外出身の身、実家の近くに住まなければいけないなどという制約も何もない。
制約がないからこそ迷うのである。

便利な市街を離れて、山間部もいいなと思って、カール・ベンクスプロジェクトの場所まで見に行ったりもした。
新潟市に引っ越す前に住んでいた上越も良かった。
やっぱり山は好きだ。
ゴミゴミした街中よりずっといい。

けれども僕もそれなりにオトナになった。
少なくとも仕事をしなければいけない。
何かを得るには何かを失うことは知っている。

―それほど深く悩んだ訳ではないが、ふっと、やっぱり新潟市内に住もう、と思った。
妥協でもないし、大きなきっかけがあった訳でもない。
ほんとに、ふっと、そう思ったのだと思う。
なぜそう思ったのかも、もはやよく覚えていないのだ。

1月5日、ふっと思い立ち、モデルハウスに行ってみた。
大手ハウスメーカーの立派な家が集まっているようなところではなく、妻が気になっていたという、郊外の地元の工務店のところに。

いろいろ営業攻めされたらどうしよう、こうしてはぐらかそう、とかいろいろ身構えて行ったが、応対してくれた社長の娘さんは、聞いてもいないことを一方的に喋るでもなく、ふわっと案内してくれる。
ひと通り見終わり、コーヒーとお菓子をいただきながら話をして、それではと時計を見ると、いつの間にか3時間近くも経っていた。

一生で一番大きな買い物だ、業者選びは後悔のないよう十分に熟考の末決めるべし、と思っていたが、帰宅後妻と話してほぼここに決めようか、ということになった。
説明できるような理由もないが、強いて言うなら妻の第一印象がよかったから、くらいか。
あと覚えていることは、社長の娘さんとクルマを買った販売会社が同じだったこと、お茶を出してくれた人が僕と同じ山形出身だったこと、くらいだ。
普段は靴下一足買うにも熟考し、迷う妻だが、この時はほとんど迷っていなかった。
妻の第一印象はかなり正しいことを、僕は知っている。

こうして、ふっと新潟市にイエを造ることを決めて、ふっと施工業者も決めた。
僕は、こんな感じで自分の人生を左右しかねない大イベントが進んでいくなんて、知らなかった。

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