あれは源氏かはたまた平家か?
この地へ引っ越してから早3年目となり、来年も引き続きここに住む可能性は高くない。
それはつまり、今この地のの住民として体験している四季折々は、今年で最後となる可能性が高いということだ。
―ここの桜はもう見られない。
―ここの田植えももう見られない。
―ここの鯉のぼりももう見られない。
もちろん、どこへ引っ越したとしても、ここへ足を運んできて見ることはできるのだけれど、普段から生活をしていて経験するのと、そのとき限りの余所者として経験するのとではいろいろ違ってくる。
僕もこの地ではまだまだ余所者ではあるが、日ごろから住んでいればこそ楽しめることも多いのである。
であるから、今年はこの地でやっておくべきことがたくさんあるのだ。
今日はとても蒸し暑かったが、こんな日の夜にはホタルが出るという。
ホタル。
小さい頃見たような、見ていないような。はっきりとした記憶はない。
記憶がないということは、見ていないということとほぼ同じである。
このことは、兄が連れて行ってもらった遊園地などに、幼い僕も同行したというのだが、僕は幼すぎ、そのときの記憶が全くないのにもかかわらず、お前もそこへ行ったことあるんだよ、ほら写真、などと親に言われても、自分のなかでは全くピンと来ず、どんな顔をしたら良いのかわからないのとよく似ている。
そのような場合、僕はその遊園地に行ったことになるのか、行ってはいないのか…。
そうして人にそこへ行ったことある?と聞かれるたびに、「あるんだけど…云々…」と、面倒な注釈を付け加える結果になるのである。
閑話休題。
とにかく僕にとってホタルは珍しく、見られるのであれば嬉しい。
そこで近所でも見られると言うので、ささっと塩焼きそばを作り、ビールを飲んで夕食と為し、ホタルが営業を開始するという19:30を待って寮を出た。
はじめはそれほど見つけられなかったが、どんどん歩いていき、空が完全に暗くなる頃、ホタルが乱舞している場所を見つけた。
これは紛れもなく初めて目にする光景だ。
ホタルにも賑やかなところが好きなヤツ、少し離れたところに一匹でいるヤツなど、個性があるようだ。
二つの光がくっついたり離れたりもしている。
あ、あの二匹は相性良さそうだな。あいつはだめだな、などと眺めている方は気楽なものである。
さて、撮影中に驚くことが起こった。
カメラの露光時間は60秒、その後さらに同じ時間だけ画像処理に時間がかかるので、1枚撮るのに都合2分かかる。
その間、僕はなんとなくホタルを真似て、液晶から漏れる光を手で覆ったり開いたりして、点滅させていたのだが、気付けばそこらじゅうのホタルの光が、僕の手の動きに合わせて、同時に点滅していたのだ!
これはなんということ。
これはたまたまかもしれない。偶然そうなったのかもしれない。
けれど、そのとき僕は鳥肌が立って、空恐ろしさを感じていた。
誰もいない真っ暗な森を目の前にして、辺りの無数の虫たちが自分に共鳴して光を放っているではないか!

M F5.6 8 ISO800 MF Leica D-LUX3
歩いて数分のところで神秘的な体験をした僕は、満足して川原の遊歩道を家路についた。
両親に連れられて散歩していた浴衣姿の女の子が、1匹のはぐれホタルを指差して喜んでいた。
あと1年もないなんてもったいない。
コンビニもなく、ワンセグも入らないこの場所に、もっと住んでいたいなとも思う。









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