カテゴリー「97.そのた」の記事

2013/09/04

近況というようなもの

前回記事をアップしてからというもの、5ヶ月以上が過ぎた。
こんなにブランクが空いたことは初めてだ。
いつもは「早いもので気づけばもう9月…」というような書き出しにするのだろうが、いつもお決まりではつまらないし、ずっとアップしていなかったことは自分で気づいており、いかにも白々しい。
とにかくなんでもよいから何かそれらしいこと書かなければ、ブリグを再開するきっかけを作れない。
こういう風に、ごちゃごちゃ書いて、なんとなくまた書き始めるのである。

と前置きしたところで、その後のことを思いつくままつらつらと、箇条書きに挙げていく。

・異動があり、仕事が変わった。住所は変わらず。

・春が来て、夏も来て、秋が近づいている。

・どんぐりはアブラムシやアメリカシロヒトリの幼虫に悩まされながらも、元気に伸びている。
今朝は出勤前にアメシロの幼虫を20匹ほど退治した。
間もなく成長を止めるだろうが、春からの今シーズン、伸びれるだけ伸びたという感じで満足だ。

・家はまだ土地の造成が完了せず、未着工。
大体の設計は終え、今後は細かい内装などを詰めてゆく。
竣工は年度末の3月末を予定している。
どうやら本当に自分の家というものが建つらしい。

・昨年ドイツに行ってから1年が経とうとするのに、独逸阿房列車シリーズは未完。
これについては正直に自己申告しておく。

・MINIは壊れず元気に走っている。

・ギターは増えず、減らず、特に上手くもならず。

・カメラは増えず、減らず、特に上手くもならず。
M2は現在修理中。
近々レンズを1本処分し、手元にはズミクロン50/2を1本のみとする予定。

・ブログの画面の一番上に楽天の広告が出るようになった。
楽天以外の広告も出るらしい。
お陰で最近楽天で検索した商品―家につける照明や、涼しくなったので欲しくなったスーツ、サバカレーの缶詰―なんかがぐるぐる回っている。

本ブリグの内容に沿って書くとおおよそ以上になる。
もともとこれといって深い内容を持つブリグではないので、久々の再開のときも楽なのである。
今後、予定通り進めば、秋がしっかりと来て、引き続き冬が来て、さらに春も来て、家ができる。
今後のことを予定通り進めるには、何より元気でいることだ。
と、殊勝に思うのは、ブリグを始めた当時27歳だった僕が34歳になったからではなく、毎日肩コリと腰イタに悩んでいるからでもなく、健康診断を今日、受けたからである。

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2012/04/01

夜を駆ける

平成24年3月30日。
仕事上、年度末のその日だ。

終業時刻を迎え、係長は大好きな課長補佐のところへ涙ながらに挨拶をしている。
課内は、挨拶をする人、帰る人、整理する人で、独特の浮ついた雰囲気に満ちている。
異動する人のさっぱりしたデスクを横目に、僕らはタクシーに乗り、係の送別会へ向かう。
係長以下8名、就職して以来最高のメンバーと働かせてもらった1年が、この日終わる。

1次会ではどうでもいい話や、どうでもよくない話、真面目な話、思い出話に花を咲かせる。
2次会ではカラオケへ。
1名減って、女子2名、男子5名、いい大人がみんなで部屋中所狭しと飛んだり跳ねたり。
後になり、ふと鈍痛に気づけば、僕の足にはそこらじゅうにぶつけた痣が。
ずっと今の時間に閉じ込められたいと思うような時間も、必ず終わる。
しかし、終電なんて、とうにない。
みんなでふらふらと近くのラーメン屋に行こうと歩きだす。

僕は飲みすぎて吐き気を催す。
僕は列から離れ路地裏にしゃがみ込み、雑居ビルの谷間にぽっかりと生える木を眺めながら、吐く用意をしている。
傍に付き添ってくれた同僚は、飲み屋街にぽっかりと生える、この木が好きだという。

その後僕らを探していたみんなが僕らを見つけ、最後のときが来た。
このまま同僚と朝までここで木を眺めていたいなあと思う僕は、帰る方向が同じ先輩とタクシーに乗せられてしまう。

その先輩はまさに戦場の最前線へと異動する。
異動先はみんなそれぞれ。
異動する人、残る人、苦労や辛い思いもみんなそれぞれ。

タクシーの運転手は、送別会ですか?市内?それならまだいいですよ。
今日は名古屋に転勤になるって人を送りましたよ、と言った。
先輩と運転手さんが話をしているのを傍で聞きながら僕は、
この係が終わってしまったんだぞ、どうしてくれるんだ、
名古屋が何だってんだ、一緒にするなよ。
と、酔った頭で、同僚が貸してくれたマフラーに顔をうずめながら思っていた。

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2012/03/11

今日はみなさん。

同じ思いでしょうね。

昨日は東京大空襲から67年。
今日は、あの大震災から1年。

今後毎年3月は、慌ただしく、追い立てられるようにキラキラした春を迎える前に、一旦立ち止まり、自分の身のこと、周りの人のこと、ちょっとだけ日本や世界全体のこと、さまざまなことに思いを馳せるひと月となるのでしょう。

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2011/09/11

妻と乞食。

東京へ行く新幹線の中で読んでいた本の中に、「函館の名物乞食、万平さんの日記」という一節があった。
彼は明治から大正にかけて函館に実在したという有名な男で、ユーモアと学があり、人の恵みを乞わない気骨のある乞食で、いつも各家のゴミ箱をあさりながらその家の人物評を日記に書き残していたという。
残された日記は2週間分足らずに過ぎないが、その中に次のような記述があった。
孫引きになるがここに引用すると、

(明治39年)十一月三日。
朝から小雪降る。初雪なるべし。午過ぎより東川町の足無しの兄来る。ビール壜に新酒を入れて来り大に飲みて天長節を祝さんと言う。足無しの話によれば近来不景気のように世間は騒げども乞食仲間は足る事を知れども世間の人々は足る事を知らざるの結果なり。

後段の「足無し」が話していたことは、最近妻が話していたことと全く同じだった。
それはもう、驚くほど同じことを言っていた。
早速新幹線の中から妻にメールを送ろうと思ったが、いざ送ろうと思うと、「乞食がおんなじこと言ってるぞ!」と送るのか、それも妙だな、なんて考えているうちにどう送ったらよいものか分からなくなり、やめた。

妻が乞食とおんなじことを考えていたなんて…。



なんとも愉快ではないか。

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2011/03/27

地震と、MINI 1年点検

今回の地震の被害・世の中への影響はあまりに大きい。
首相が会見の中で、「戦後最大の国難」という表現を使ったことが印象的だ。
あの大惨禍の太平洋戦争以来の国難。
あの首相の言葉ながら、身が引き締まる思いだ。
福島の原子力発電所の様子もずっと気になっている。

元暦2年(1185年)の大地震についての記述が『方丈記』にある。
山は崩れて川を埋め、海は傾き陸地を浸した。
小さい子を失った武士は、人目もはばからず嘆き悲しんだという。
そこに描写される惨状、子を失った親の悲しみは、それから800年以上も経った今でも何一つ変わることがないだろうと想像する。
そんなことを僕が想像してどうなるということもないのだが、幸いにして直接的な被害を被っていない僕には、想像することしかできない。
誰かに代わって悲しむことはできないし、政府はこうすべきだ、東京電力はああすべきだ、などという意見を声高に主張することもできない。
想像しながら、できること、与えられたことをするほかないのだろう。

しかし一方では、一見いつもと変わりないように見える毎日もやってくる。
今日も散歩に向いた穏やかな休日だ。
僕のMINIは5年目を迎えようとしており、今回1年点検を受けた。
走行距離は50,000kmを越えたところ。

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さすがに5年目、5万キロオーバーともなると、ブレーキパッドの交換が必要になっているかもしれないと思い、相応の出費を覚悟していたのだが、パッドの残量は十分にあり、田舎暮らしの長かったわがMINIの健康体ぶりを実感する。
その他バッテリーやフィルター類の消耗品も交換の必要がなく、整備の中身としてはこちらが指定したオイルとワイパーゴムの交換くらいなもので済んだ。
ディーラーの駐車場には、ハッチバック、コンバーチブル、クラブマン、クロスオーバーと、バリエーション豊かな車種が並ぶようになり、新色もいろいろ出ているようだが、わがMINIにはこれからも末長く走ってもらうのだ。
下手な改造などには目もくれず、セオリー通りのメンテナンスを淡々と施していこう。

震災があり、戦後これまで続いてきた日本の流れの方向が変わり始めているのかもしれない。
誰も気づかないところで少しずつ。
それがどういう方向なのかは、おそらく誰にもわからない。
けれども一方で、僕の日常は確実にここにある。

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2010/10/21

交換致しました。

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2008年4月20日以来使っているケータイ。
夏ごろに、「7・ま」のキーがポロっと取れた。
その後セロハンテープで張り付け、何の支障もなくずっと使っていたが、テープも黒ずみ、汚くなってきた。
今回、他の用事でケータイ屋に行くことがあったので、修理をお願いすることにした。

それが今日、返ってきた。
修理報告書には、「今回、基盤(内部の集積回路部品一式)交換及びキーパット、リアケース、電池のフタの交換を実施致しました」とある。
それって結局…全部交換ってことか。
修理というか、交換?
ご丁寧に液晶保護シールまで貼ってあり、買った時と同じ状態。
有り難い。
確かに有り難いことだよ。これは。
何とかプランのおかげで費用もかからなかったし。
有り難いんだけど、実にあっけない。
…まあケータイくらい、なんだっていいんだけどさ。

丸3年を共に過ごした我がクルマにも、洗車のたびに、少しずつ増えてきた傷を見つけるようになってきた。
まあ、やはり傷はないのに越したことはない。
―ディーラーに持って行って、「外装一式交換いたしました。ついでに、エンジンも、シートも交換致しました」

ケースには入れず、裸であちこち連れ回しているM6にも、どんどん傷が付いてゆく。
ファインダーに埃は入るし、地面と直接触れる底蓋なんかは傷だらけ。
―カメラ屋に持って行って、「外装一式交換いたしました。ついでに、ファインダーも、シャッターも交換致しました」

僕は小2の時遊んでいて頭をぶつけ、縫ったことがある。
―病院へ行って、「外装一式交換いたしました。ついでに中身も…」

一式交換されて、それでいいようなもの所詮、それまでのもの。
交換ではなく、修理を望むものは、自分にとってそれなりのもの。
新しくピカピカであればそれでいいものと、その身に纏うそれ自身にとっての歴史が必要なもの。
前者のようなものは、極力身の周りに増やさないことだ。

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2010/07/11

残ることは偉い。

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最近古道具というものに惹かれることがある。
別にアンティークにかぶれました!というわけではない。

例えば、50年前のカメラがあるとする。
50年後の今、そのカメラをいいと思えるか、古くて使い物にならないか、どう見るかはもちろん自由だ。使い方による。
ただ、それら古いカメラのなかで、フィルムさえ入れれば使えるカメラは多い。
例えば、今日現在最新のデジタルカメラがあるとする。
50年後の2060年、そのカメラをいいと思えるか、古くて使い物にならないか、どう見るかは50年後の人の自由だ。
けれども、それら「最新」デジタルカメラのなかで、バッテリーさえ入れれば使えるカメラが多いかはかなり怪しい。

古ければ偉いわけではない。
古ければ魅力があるわけでもない。
しかし、50年間生き残ったことは無視できない事実だ。
魅力は古いことにではなく、そこにある。
残るモノ、残らないモノ。
これは人と違って、そのモノが主体的に決められることではなく、周りが決めることだ。
運よく大切にしてくれる人の手に渡ったモノは残され、他のモノは不幸にも壊されたか、棄てられたか、どこかに眠ったままか。
もちろん、大切に扱われるためには、そのモノ自体にも魅力や優れたところがなければならない。

源氏物語は1000年残った。
平家物語はおよそ800年。
徒然草は700年くらいか。
サージェントペパーは43年。

今日現在、もてはやされている諸事の中で1000年後、800年後、700年後、43年後、何が残るだろう。
古いから偉いのではなく、古いものは残ったから価値がある。
歴史は残らなければ作られない。
それ自体がいいとか悪いとかではなく、残ったから、続いたから、価値があるのだ。
その中には輝く歴史、負の歴史、いろいろあっただろうが、それらをひっくるめて、続いたから、残ったから価値のある歴史になる。
アメリカが中世の歴史が欲しいといったところでそれは無理な話。
これから頑張って歴史を作っていくしかない。
いや、頑張らなくても歴史は続くけど、大切にしないと、歴史は残らない。

話がそれた。
昔は古くて薄汚れたモノより新品がいいや、と思っていたが、古いモノに興味が出てきた。
だから、自分が買うモノも、この先僕のもとで残るモノだけにして、そういうモノが見つからなければ、妥協せずにあきらめる。
自分で作れるモノであれば、作る。
安かろうが、高かろうが、自分にとって価値のあるモノを見極めて、決して多くはないそれらを、自分のもとで残していきたいと強く思うのだ。

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2010/05/09

新居

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バタバタの引っ越しから一月が経ち、ようやく身の回りも落ち着きつつある。
新しい住まいは、今風の洒落たメゾネットタイプの新築アパート…ではなく(そもそもメゾネットタイプというものがどんなのかよく判らないが)、築30年以上経つ貸家。
不動産屋さんで一通り普通のアパートを見て回った後に、「貸家とかってありますか?」と聞いたところ、「あまりお薦めはできないんですけど…」と言いながら出してくれた物件だ。
外装は昭和の香りがぷんぷんするが、内装はそこそこリフォームしてあり、それなりに整備されている。
雰囲気としては「建て替え前の実家」といった趣だ。
前のところにはついてなかったエア・コンディショナーも付いているし、湯沸かしも声が出る最新式?のやつ。もちろん追い炊きもできる。
いまだにテレビはないから関係ないけど、衛星放送も受信できるらしい。
当初僕の中には貸家という選択肢はなかったけれど、想像以上に快適である
借家には隣と壁だけで隔てられたアパートにはない解放感があり、賃貸ながらも自分の「家」に住んでいるという満足感がある。
おかげで楽器も比較的気兼ねなく音出しができる。

特に気に入ったのは駐車場。
舗装こそされていないものの、縦に2台、軽なら3台でもいけそうな広さだし、前の住人が造ったらしい、三矢サイダーの空きびんで仕切られた花壇まで付いている。
休みにはホームセンターに行ってブロックなんかを買ってきて、庭づくりごっこ。
ついでもミニトマトの苗も買ってきて、家庭菜園ごっこも。
自分の家なんてまだまだまだ持てないけれど、これはちょっとしたマイホーム気分を味わえるじゃないか!

これで家賃は並のアパートと同じくらいかむしろ安いくらい。
借家、建物の表面的な古さや地味ささえ気にならなければ、オススメですぞ。

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2010/03/30

お引っ越し。

転勤のため、これから引っ越しです。
気が付かないうちに、今のここの土地や人々への愛着は並々ならぬものになっており、
この地との別れはかなり辛いものがあります。

これまでの3年間を思うと、まさに万感の思い、といったところです。

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2009/12/16

ご無沙汰でした。

もう12月も半ば。
いつもの年より遅い雪も降り、いよいよクリスマス、年末、お正月と、そわそわ慌ただしいながらも楽しい時期がやってきます。

さて、その後事情によりネットに繋げない状態になってしまったので、一か月以上もここをほったらかしにしていました。
テレビもネットもない生活というものは何かと不便ではあるものの、絶対無理!というほどでもないような気がしないでもなくもないような気がしました。
久しぶりに本をちゃんと読んだり、部屋を片付けたりしながら。
けれども、今日からネット環境も復活し、暖かい部屋でこうしていろんな情報に触れられるというのはやはりいいものですね。

運休していた独逸阿房列車の運行再開など、ここもまたちょこちょこと更新していきます。

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